「グロテスク」を読む〜悪意の壁を張り、対峙しない悲劇〜

「母は娘の人生を支配する」斎藤環 という本の中でこの「グロテスク」が家庭の問題を象徴した内容だと参考書籍としてあげられていたこともあり、ずっと気になっていた本書を読んでみました。

著者は、今年 紫綬褒章を受章された桐野夏生さん。女のドロドロした内面を表現する力はズバ抜けています。

ぜひ、メンタルが健全な時に余裕を持って読んでほしい一冊です。  

グロテスクのあらすじ

2222 この本のモデルはご存知の方も多いと思いますが、「東電OL殺人事件」といわれた、実際にあった殺人事件をモデルにしています。

東電OL殺人事件とは、1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の幹部社員だった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件。あるネパール人が犯人として逮捕・収監されたが、後に冤罪とされ釈放された。https://ja.wikipedia.org/wiki/東電OL殺人事件

  多くのサイトであらすじは書かれているので、細かい説明はそちらにおまかせするとして、このグロテスクというタイトル・・何か気になります。

主人公は、この東電OL=「佐藤和恵」ではなく、その元級友だった「わたし」という人物。

そのほかにも「わたし」の妹の「ユリコ」と、「佐藤和恵」と同じく元級友だった「ミツル」という四人の女性がこの物語の主流となってでてきます。

有名小中高大一貫校への入学

watashi

「わたし」は、日本人の母とスイス人の父から生まれた怪物的な美貌の持ち主だった妹「ユリコ」に強烈なコンプレックスを抱き、小さい頃から仲の悪い姉妹として育ちます。

父の日本での貿易商の商売がうまくいかなくなり、父の生まれ育ったスイスに戻って行く際に、「ユリコ」と暮らしたくないという理由から、頭だけは良かった「わたし」は一人日本に残り、小中高大一貫教育の有名な高校に入学をする。

「ユリコ」とはなれることができた「わたし」は祖父との2人暮らしに自由を感じ、意気揚々と高校へ入学するも、外部生と内部生という高校から入った生徒たちと、小学校から入っている生徒たちとのスクールカーストという差別のようなものがあることにすぐに気がつく。

もともと悪意を秘めた「わたし」は、すぐにスクールカーストを受け入れ、諦めるというかたちで学校生活を送っていくことを決めるが、同じく外部生の「佐藤和恵」は違った。

kazue

「佐藤和恵」は、頭は良いが顔はブスでガリガリの体に、妙にボリュームのある髪の毛がとても不自然だった。

しかも、「佐藤和恵」はその見た目を知ってか知らずか、美の象徴ともいわれていたチアガール部に入部したいとチアガール部の扉を叩くが無下にも断られる。

このように「佐藤和恵」は絶えず内部生やスクールカーストに努力で立ち向かうという日々を送ることになる。

そんな「佐藤和恵」を「わたし」は常に悪意を持って接して意地悪をする。

また、「ミツル」は中学校からの入学で成績は常にトップ。母親は貸しビル業と飲み屋を経営している。内部生のような本物のお嬢様ではないということを隠すために、青山に部屋を借りている。将来は、東大の医学部へ行くというのが目標。  

母の自殺後、妹の「ユリコ」も日本へ

yuriko

そんな中、母親がスイスの自宅で自殺をしたと連絡が入る。もともとスイスでの生活に馴染めなかった母親、そしてそれを薄々感じていた家族はある意味「仕方ない」と受け止めるが、まだ母親の遺体が自宅にある状況で、父親は不倫をしていた身重の彼女を家に招き入れてしまう。

これによって「ユリコ」は居場所を失い、日本に戻ることを決意するが、犬猿の仲の姉は受け入れてくれないこともあり、以前に日本に住んでいた時にお世話になったジョンソン家にお世話になる。

そこで偶然にも「ユリコ」は姉である「わたし」と同じ学校の中等部に入学することになる。

怪物的な美貌の持ち主である「ユリコ」はたちまち有名となり、それほど美しくない「わたし」のコンプレックスを刺激することになる。

その後、「わたし」は「ユリコ」が売春行為をしていることを突き止め、「ユリコ」とマネージャー役が退学、マネージャー役の親である教師が退職することになる。

これも「ユリコ」やそのほかの人に対する復讐であることは間違いない。

「ユリコ」はその後、ananやJJなどのモデルなどになるが、すぐに男性と関係を持つことなどから、人間関係が長続きせずに結局クラブなどで働くようになる。

「佐藤和恵」は、同大学に進学をし大手建設会社(=実話でいう東京電力)へ入ることになる。最初のうちは、自分の実力をみせつけようと頑張るものの、男性の視点は「女としてどうか」とか「どの子と結婚する」などしか見ていないことに気がつく。 それに気がついた同僚などは早々に結婚退職をしてしまうが、「佐藤和恵」は自分の生きる目標を会社での仕事ではなく、お金を貯めるということに変更する。

年収1千万をもらっているのに、さらに売春をすることで1億円貯めるという目標を達成しようとする。目標が決まれば手段など選ばないのも彼女らしいところだ。 「佐藤和恵」は自己崩壊がはじまっていることにまだ気がついていない。  

30代後半になった「佐藤和恵」と「ユリコ」

怪物的な美貌の持ち主であった「ユリコ」も、30代後半になってくると体はブヨブヨ、顔はシワシワで売春の客をとれなくなってきた。

そんな中で、路上で客を待っている時に20年ぶりに「佐藤和恵」に出会う。

お互い売春をしているもの同士で同じ場所を時間を変えて共有することにする。 しばらくして、「ユリコ」は中国人のチョウという男性に殺されてしまう。

ただし、「ユリコ」は「佐藤和恵」と違って自己崩壊していることに気がついており、「死にむかって」生きていたので、思い通りの人生だったのだろう。

その2年後、「佐藤和恵」は同じ中国人のチョウに殺される。

その頃には「佐藤和恵」は完全に自己崩壊をしていて、客は全くつかなくなっていた。ガリガリな上になおもダイエットした骨と皮だけの体型、腰まである長い髪のカツラに、真っ赤な口紅、青いアイシャドウなど、みるからにおかしい人になっていた。命を失うことにより「佐藤和恵」の努力教はやっと終わりを遂げる。  

mitsuru

また、高校の同級生だった「ミツル」は、希望通りに東大医学部へ入学する。

しかし、仕事をはじめてみると、耳鼻科の仕事は鼻炎などの治療がほとんどで「誰にでも出来る」ような仕事であることに落胆をする。

そこで、研究職をする男性と結婚をすることで、自分の価値も底上げできると思った「ミツル」は結婚をして、子供2人を設ける。 それでもなお何か物足りないものを感じ、母親が入信していた宗教に家族全員を連れて入ってしまう。

その結果、元信者や一般人を殺してしまう事件を起こして刑務所に入る。 結局「ミツル」は出所するも、夫は極刑は免れず夫の両親に育てられてた子供からも愛想をつかされる。

グロテスクは何だったの?

この「ミツル」のその後も、肝心の「わたし」についての記述もあったが、なぜか読み終わって感じたのは「売春は身を滅ぼす」とか「なぜ、高給取りが売春?」とかその辺で納得して読了するのかと思ったが、全く感想は違った。

「佐藤和恵」は死ぬまで努力教をどうしてもやめられなかった。努力教とは、「頑張ればなんとかなる」という妄想。長年の自分に合わない努力教の積み重ねによってついにバランスを崩し、自己崩壊をした。

この自己崩壊は高校の時からはじまっていたといわれているが、生まれついた家庭にすでに染み付いていたように思う。 「ユリコ」は男性に頼って生きるという生き方をやめられなかった。

頼るというのは良い言い方だが、男を利用するともいえるし、糧として考えていた・・といえるかもしれない。その結果、中年になることで女性としての価値がなくなり自己崩壊をした。

「ミツル」は宗教によって全てを失ったが、最後に高校時代の教師と結婚をする。この教師のことも「わたし」が悪意を持って問題を起こし辞職にまで追い詰めた相手の一人。 その「ミツル」が「わたし」に言ったことばがこれ。

自分の中の弱さと向き合うのは、大変なことよ。すごく辛いわ。だけど、あなたはあなたの弱さを考えたり、克服しようとしたことなんか一度もないでしょう。あなたがユリコさんに対して病的なコンプレックスを持っているのは知っている。あなたは恐ろしいことに、そこから抜け出せていない。あなたが何ものとも対峙していないからよ。

watashi

つまり、「佐藤和恵」や「ユリコ」は何かを変えるために、たとえそれが不器用だとしても、はかない努力をしていた。

でも「わたし」は一人戦わず、高みから悪意をもって努力する人をさげすむだけの人生を送っていた。

私が思うに、タイトル「グロテスク」というのは、「わたし」の「悪意」なのではないかと思っている。

  「ユリコ」の子供という「ユリオ」という目の見えない美しい高校生が、「わたし」に対して「心が貧しい」と言ったことで、誰とも対峙したことのない「わたし」の心がはじめて動きだす。 最後には愛する甥っ子の「ユリオ」のパソコンを買ってというお願いを果たすために、「ユリオ」と「わたし」自身も「佐藤和恵」や「ユリコ」と同じ場所で売春をはじめる展開には驚いたが、最終的に「ユリオ」も「わたし」も「佐藤和恵」や「ユリコ」と同じ自己崩壊へ向かっていくような暗さを残したまま終わりとなる。

それぞれの悲劇

2222 この「グロテスク」を読み終えて、どんどん混乱してきた。なんとも言えない感じ。

それほど問題を残して終わったような感覚がある。 どうしてかというと、この本はとても良書なのだが、「救いがない」のだ。

もともと金持ちでない女。 もともと綺麗でない女。

そんなわたしはどうしたら良いの?となる。

すでに生まれ持ったもので、女性の多くの生き方が決まるというのは、やっぱり悲しい。 でも、わたしは救いがあると思っている。

それは、そのままの自分を受け止めてくれる人を探すということだ。

もし、あなたが金持ちで綺麗な人ばかりを求めているのであれば、その人たちも上を向いているので、きっとあなたを拒否するだろう。 でも、見上げるのではなく、あなたと同じ目線の人を横を向いて見つけることにすれば、きっと見つかるはず。

「佐藤和恵」のような努力教の人はこれができずに上を見続けて壊れてしまう。  

では、なぜ「ユリコ」は自己崩壊したのか? きっと、「ユリコ」は同居していた母親が自殺したという事実を受け入れてないのではないか。

自分が助けられなかった。 私がいながら逝ってしまった。 しかも、父親は若い女性とすぐに再婚した。 母が死んでも姉は拒否をする。

  このような厳しすぎる現実に自己評価がひどく低下し、自分を助けるのは身内でも他者でもなく、また自分の中身でもなく、男を惹きつける外見だけなのだ。ということを自分自身で決めてしまったのではないか。 「ユリコ」も自分を責め続け、堕落した自分の価値を確かめるように男性を求め続け、等身大の自分を冷静に見ることができなかった。   最後に、「わたし」はどうだったか?

もともと金持ちでない女。 もともと綺麗でない女。

そんな自分について対峙するのではなく、つねに他者のせいにして生きてきた。「わたし」は20年たっても何も成長したところがないように思う。

「うちの家は父が事業を失敗したからわたしは・・」 「怪物的な美貌の妹のせいでわたしは・・」

と他者主導となっている。自己防衛の最たるもので自分の責任はゼロという考え方だ。

自分の気づきがないと、自分の変化は永遠に訪れることはない。  

もちろん、これは自分だけの問題ではなく、このような考え方の歪みの土台はきっと歪んだ家庭から生まれるもの。「わたし」と「ユリコ」の母親は2人が学生時代のうちに自殺をしているので、母親もしくはそれ以前の家系からはじまっている歪みだということがわかる。

この歪んだ家系は三代は続くと言われている。 この流れを断ち切るには相当な努力が必要で、これを「わたし」のように目を逸らした場合は、その血はそのまま受け継がれることになるだろうし、消極的な対処法としては子孫を残さないことで血の流れが途絶えることで断ち切るという方法もある。

最近、結婚したがらない人たちは、この空気を薄々感じていて「生きていて楽しくない」自分があえて子孫にもこの不幸の血を継ぐことに罪悪感を感じている人も少なからずいるはず。

本当に少子化対策を考えるのであれば、この家族の問題を解決するシステムを作ることが先決だと考える。 だから、お見合いパーティーを開催すれば少子化対策になるなどの考え方はあまりにも安っぽくて表面的すぎて意味がないように思う。パーティーで見つかる人は、道ばたでもお店でもどこででも見つけることができるのだ。

自分を再スタートするためのステップ

では、どうやって自分の生き方をやり直していくかですが

  1. 今の自分を認め
  2. 努力教を諦め
  3. 再スタート

まず、自分の等身大を知ること、そして、人からの評価主義をやめる・・というか諦めること、これをすれば再スタートできる可能性は高まるのではないか。

また、あなたを低く評価すする人、あなたと他者を比べて残酷なことをいう人、コントロールしようとする人に対してははっきり嫌だと伝え、それでも聞かないのであれば無視することだ。 「自分さえ我慢すれば・・」という考えは、問題の先送りであり、問題から目をそらしているにすぎない。

すぐにまた同じような問題が巡ってくるにちがいない。   「ミツル」が「わたし」に言った言葉、「あなたは何とも対峙していないのよ」 これを続ける以上、わたしたちに望む変化は訪れないのだろう。  

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク