それ本当?「水木サンの幸福論」 から幸福の種を見つけた!

  まさに気持ちのおもむくまま、やりたいことをやってきた水木さんらしい言葉です。  

妖怪の話をしてくれるおばさんとの出会い

そして、そんな少年時代に、近くのおばさんから妖怪の話をしてもらうことで、水木サンも妖怪に目覚めるわけですね。  

幸福の七カ条 第7条

目に見えない世界を信じる。

  幼いころの好奇心が、生涯食べていく糧に結びついたわけです。お金になること、得になることしか考えていなかったら、きっと妖怪に出会うこともなかったでしょう。  

ダメダメな水木少年の長所を見つけた先生

そうして、自分の好奇心のおもむくままに絵を描くことにも目覚め、熱心に絵を描いていると、ある先生がその実力を見つけて、勝手に水木少年の個展を開いてくれたのです。 まだ13歳の時です。すでに道すじは出来はじめていることがわかります。恩人というのは、こうして導いてくれるのですね。

幸福の七カ条 第3条

他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

  このように遅刻ばっかりで巨漢のわんぱく坊主の水木少年は、先生たちから叱られてばっかりなのですが、個展を開いてくれた先生のように、ちゃんと水木少年のできるところや得意なところを見つけてくれる人もいたのです。 これは、水木少年が他人と比べて、「ダメだ〜」と卑下をしたり、「くそー!」と対抗心を燃やしたりするのではなく、自分のやりたいことをまっすぐに見て存分にやっていたからだと思われます。  

就職は全然うまくいかなかった

そして、学校を卒業して島根から大阪へ来て印刷会社へ就職するのですが、これまた何をしてもダメなんですね。仕事は遅いし、おつかいに行ったらいつまでも帰ってこない。絵を描いてばかりいる。 そんなこんなで、すぐにクビになってしまいます。そんなことが何度かあって、水木サンの父親は、水木サンに美術系の学校に行くことを勧めます。お父さんも水木サンの長所を見ていますね。 これって、すごいですよね。もし、うまく仕事に順応できていたら、生涯印刷会社で働いていたかもしれません。でも、あまりにも向かないので自然に絵の方向へ導かれていく・・という導かれたようなストーリーに驚きます。  

幸福の七カ条 第1条

成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

  水木サンが売れるようになったのは、40歳を過ぎてから。もしかすると、印刷会社で生涯働いていた方がずっと安泰だったかもしれないし、長い長い貧乏時代を味わうこともなかったかもしれません。 でも、漫画家としての人生の方が水木サンにはずっと楽しかった人生だったと思います。自分の心に正直だったんですね。  

戦争の体験が「好きなことをする」に火をつける

そして、戦争を体験するのです。そこで左腕を失うのですが、水木サンは国のためとか何とかよりも、とにかく「死にたくなかった」そうです。 本当はみんなそう思ってたんですよね。それを水木サンはそのまま感じていただけなんですよね。 水木サンは印刷会社での仕事と同じく、軍隊では全く仕事が出来なかったそうです。だから、上司としては死んでも仕方ない、というような気持ちで一番最悪な場所へ派遣ばかりされていたそうですが、それでも生き残ることができました。 この出来事を、水木サンは「生きる方へ導かれた」という言い方をされていました。 その後戦争が終わり、紙芝居作家としてやっていこうとするのですが、なかなかヒットはなく低賃金、そして時代の流れとともに紙芝居自体の需要が減ってきて・・戦争が終わって40歳くらいまではとにかく貧乏、貧乏の生活です。 今思えば、ここまで売れる漫画家がどうしてこんなに苦労するのだろう、誰か見つけてあげないのか?と思いますが、考えようによれば偶然にも中年まで漫画を描くことを続けられたからこそヒットしたのではないか、と思うのです。 これは、水木サンご本人も感じているようで、昔ヒットしなかった作品も時代が回って数年後にヒットしたとか、連載がボツになったのに読者が「続きが読みたい」と出版社へ電話したおかげでボツが取りやめになったなどと言っています。 ヒットしないのはタイミングなどが原因で、実力のなさだとは信じなかったんでしょうね。なんというメンタル!

幸福の七カ条 第5条

才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

  つまり、努力=成功とか収入という考え方であれば、「努力したが成功しなかった」と、とっくに漫画家には見切りをつけていたはずですし、周囲の人も「そろそろ現実を見ろ」というアドバイスをしていたはずです。 でも、水木サンは漫画を描くのがとても好きだった、だから続けたことにより中年以降ずっと売れ続けたのだと思います。 水木サンの才能は、漫画の才能以上に「楽しいことを続ける」才能が飛び抜けて高かったような気がします  

幸せの分量について

最後に、娘さんのコメントがありました。 娘さんは小学生の時にイジメにあい、自殺を考えていた時期があったそうです。そんな時に、父親であった水木サンがこのように言ったそうです。

お父ちゃんな、人の幸せってものを昔から考えちょったらな、やっぱりいたんだよ。お父ちゃんとおんなじようにそれを疑問に思って研究しとる人が。その人の本を今読んじょーがな、それによると、どうやら人の一生のうちの幸せや不幸の量ってものはある程度決まってちょーだしこだ。(決まっているらしい) すなわち、不幸だけではない、不幸があれば幸福も同じくらいあるってことなんだよ。

この言葉を聞いて、娘さんは暗闇の中で一筋の光を見つけることができたそうです。 と、ここで私は楽しいことを追求し続けた水木サンが「幸福について」研究するのは、変だと思いました。 なぜなら、幸福しか経験していない人は「幸福について」研究しないはずだからです。だって、毎日幸せだーっと感じているならば、努力しなくてもずっと幸せだと信じられるはずです。それが、水木サンにはなかった可能性があります。 あのようにサバサバと自分の気のおもむくままに生きているような水木サンの中に、幸福を求める気持ち・・一種の闇のようなものがあるのかもしれないと感じました。

最後に・・

はずかしながら漫画はほとんど読まないので、はじめて水木サンの漫画を読ませていただきました。「花町ケンカ大将」という作品が付録として付いていたからです。 これを読むと、水木サンのイメージがまた変わりました。なんか言い方が悪いですが、ジメジメっとした雰囲気なんですね。 またしても、心の闇を感じると同時に、ただの楽天家のおっちゃんではない水木サンの人格の深さのようなものを感じました。 不幸をさんざん味わっているからこそ、幸福について必死に考えている方なんだと納得できました。 そして、冒頭の「なぜ楽しそうに生きているのか」という疑問には、きっと「幸福を探しているから」だと思いました。 まるで、少年時代の水木サンがキラキラとした目で動物の死骸を探しているように。  

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