本物の愛が見つからない方へ「八日目の蝉」

「八日目の蝉」のあらすじ

「八日目の蝉」〜蝉は土の中から出てきて7日で生涯を終えるという〜

だからたった7日の命でも「周りも同じなら怖くない」。それよりも1日長く生きてしまった方が、未知の世界を1人で体験することだから怖いという考え方・・なんとなく理解できますよね?

私たちはこのようにいろいろなことを周囲との調和に重みを置いて生きていいて、さらには人生までも「横ならび」で考えて、チェックしながら生きている気がします。

でも、この「八日目の蝉」の主役である女性は、父親の不倫相手に誘拐されてしまうというところから人生がスタートするので、もはや比較するものなど何もない状態からスタートします。

しかも、更なる悲劇は0歳から4歳まで一緒に逃亡することになった不倫相手に母親の愛を感じ、実際の母親には愛を感じることが出来なかったことです。

これは一般的な幼い頃のコントロールによる洗脳のようなものではありません。本当の愛を自分を誘拐した人に感じるという「あってはならない本音」を隠しながら生きることになるのです。

大人になった主人公は、妻子のいる男性の子供を身ごもり、ひとりで産むことを決意します。

求めるべきものが手の中にないとき

私たちは「するべき」ことが「出来ない」とき、自分を責めてしまいます。

そして、その「出来ない」理由を考えるよりも先に、「するべき」に手をつけようとします。そして、簡単には抜け出せない負のスパイラルに入っていきます。

「八日目の蝉」でいうと、誘拐犯から解放された後の生活では、戻った先の実際の母親に愛を感じなくても愛するべきだと思い、そのように振舞っていくのが普通なのでしょう。

でも、ここに出てくる実際の母親は、かなり心に傷がある様子でとても誰かを愛せる状態ではなかった。そんな人を愛すべきだとは主人公は思えなかった。

でも、自分の子供を身ごもったとき、どうやって子供を育てたら良いのか、愛を与えたらよいのかわからなくなるのです。モデルになるものが見当たらないからですね。

そんなときに、誘拐犯と数年間を過ごした場所を訪れます。そこには主人公が愛された軌跡がいっぱい残っていました。

そして、そのいっぱい愛された思い出を持って自分の子供を産み、育てようと大きく決意したのです。

love

お金やモノなどの取引は、証拠の書類や実際の形となるものが残るのでわかりやすいですが、愛というものは形がなく、ふわふわしているように思えます。

だからこそ、「こんなもんだ」と決めてしまえば「こんなもの」となってしまうのかもしれません。

でも、自分の気持ちに正直になるのだとすれば、とてもじゃないけど「するべき」ことが「出来ない」こともあります。

それでも「するべき」にとらわれてしまうと、行き着く先は「無、ゼロ、空」の状態なのだと思います。つまり、自分が亡くなるということです。

それならば、たとえ4年の思い出だったとしても、その愛を肥料にして生きていくことが出来るのだと思います。

もし、本当の愛が見当たらない、今ある愛に疑問を感じている方は、本音を隠し「あるべき姿」だけを追い求めているのではないでしょうか。

そのように感じた方は、ぜひ「八日目の蝉」をぜひ読んで考えてみて欲しいです。

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