「私さえ我慢すれば」は狙われる?被害者のマスクを被った加害者はすぐ隣に?!

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この事件は、明らかに母親が高校生の息子を追い詰めたことが自殺の原因だと想像できるのに、「学校のせいだ!」「校長のせいだ!」「部活のせいだ!」と自殺の原因を学校に求めて、マスコミや政治家、弁護士などと協力して、最終的には裁判合戦にまでになってしまった事件です。

私自身は、当時の記憶はあまりないのですが、自殺された息子さんの顔を見たときに、見おぼえがあったので、かなり大きく報道された事件だと思います。

こちらでは、事件の真相というより、どうして息子さんが死ななければならなかったのかについて考えてみたいと思います。

やさしさが接着剤となってしまう不甲斐なさ

自殺した少年は、大人しくて優しかったと多くの人が言っています。

この優しさが、最終的に本人の死に結びついてしまった可能性があることは、本当に残念だと思います。

自殺前に少年は2度も家出をしていたそうです。そんな気持ちがありながら、最後には限界まで耐えてしまった少年のやさしさが悔やまれます。

少年には弟がいるのですが、なぜか母親は弟には何も言わなかったそうです。

ここにも大きなヒントが隠れているように思います。

母親の(被害者としての)正当性を証明するために、少年は利用され尽くしてしまった・・・。

自殺の本当の原因とは?

16歳の少年の命と、彼に関わる多くの人たちのその後の人生を変えてしまったこの事件は、元をたどれば少年の母親の抱える課題がはじまりであると思います。

母親の実父をはじめ、親族に自殺者が多いことが理由なのか、彼女の口から「死」とか「自殺」という言葉が非常に多く出てくることが特徴でした。

このことからも、この母親にとっては「死」とか「自殺」がとても身近なものであるとともに、いつ自分にも「死」とか「自殺」が降りかかるのか、といった不安がとても大きかったのではないでしょうか。

本来なら、このような自分の抱える課題に取り組むことが最優先であるはずなのに、問題の矛先を自分の完全なコントロール下にある子どもに向けてしまった。

そして、少年が未成年であることやその少年の持つ人望などから、学校関係者も親身になって、その親子問題に取り組んだことで、「(少年に対する)愛」が接着剤のようになって、なかなか母親から少年や関係者を切り離すことができなくなってしまったのかもしれません。

この母親に対して、少年自身や周囲の人間が無視を決め込んでいたら、もしかすると自殺や裁判にまで問題は大きくならなかったのかもしれません。

自分を犠牲にすると問題が大きくなる

このような大きな事件がないと、私たちはちゃんと考えなかったり、取り組まないというのは、だめなところだと思うのですが、日常の生活をみても似たようなことは多く起こっていると思います。

  • 迷惑な人に対して発言できない
  • 自分を利用している人から離れられない
  • 気持ちより「〜すべき」を重視してしまう

このような解決できないように思う問題を抱えた時、問題が大きくなる理由の1つとしてとても重要なこと、それは「自分を犠牲にしてしまうこと」ではないかと思います。

自分が犠牲になりそうになった時、自分を守るために「逃げる」ことや「戦う」ことは当たり前のことなのです。もし、そのまま進んでしまえば、自分を犠牲にする最終的な姿は「死」だからです。

そんな時に「ここで我慢をすれば・・」「私さえ我慢すれば・・」という心理が働くと、加害者にとっては「まだまだ大丈夫なのか」となってしまう可能性があります。

これが問題を大きくしてしまう原因だと思います。

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だからといって、耐えて耐えて頑張った少年を悪いとは思えません。未成年であることや やさしい人柄などから、片親である母親を捨てることなど出来なかったのでしょう。

でも、この世の中、やさしい人、ノーと言えない人が犠牲となって、弱肉強食の争いで負けていっているのが現実だと感じます。

自殺をする人、心に問題を持ちながら生きている人は、このような一見やさしい人が非常に多いと思いませんか?

人にはっきりモノが言えない人は、問題のある状況下で耐える力を強める努力をするのではなく、「なぜ、はっきり主張できないのか?」「逃げる選択肢を選ばないのか?」について真剣に考えてみることです。

誰かに利用されたり、コントロールされる人の課題は、ここにあると思います。

今回取り上げた親子問題も、母親の課題と少年の課題がピタッと合ってしまったことで、取り返すことのできない事件にまで大きくなってしまったのだと思います。

yanagi

今日のダイジョウブ!

だけど、このような不利な環境の中で、自分を守り続けていくことが出来れば、最終的には、弱さを知り やさしさも持っている本当の強い人になれるのだと思います。

その強さは柳(やなぎ)のようにしなやかで、そして折れない心に育つのだと思います。

だから、今はできなくてもダイジョウブなのだと思います。

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