「あれ?ウチっておかしいの?」マンガでわかる!機能不全家族ができるプロセス

夫婦ともに自尊心が低くお互いの信頼もほとんどないとき、彼らが子どもに期待するのは、親である自分たちの自尊心を高めてくれること、自分たちの延長となること、そして夫婦関係の苦痛を和らげる機能を果たしてくれることだ。ヴァージニア サティア

機能不全家族ができるプロセス

機能不全家族というのは、家族間がうまくいっていない、ミョーな空気が流れている、すごく力を持った1人がいて他のメンバーはオドオドしている、など・・なにか病んでいる家族のことです。

機能不全家族っていうと、暴力などがある特殊な家庭だと勘違いしそうですが、日本の家庭の8割は機能不全家族だと西尾和美さんは言われています。

これほど多くの機能不全家族の中で特に私が問題だと思うのは、いかにも悪い人が存在する家庭ではなく「まったく問題ない」「うちは幸せです」と装っている機能不全家族です。

なぜ、問題なのかというと、いかにも悪い人が存在すると、問題が表面化しやすいので他者が介入しやすくなりますが、幸せっていうベールで包まれていると誰も手出しができないからです。

このように他人の見えないところで問題が長期的に続いた結果、人知れず犠牲者が生まれ続けているのが今の現状だと思います。

もしかすると、あなたの家族も機能不全家族かもしれませんよ?

このような家族はどうやって出来上がるのかを、家族療法のヴァージニア サティアさんの言葉をもとにマンガにしてみました。

夫婦ともに自尊心が低く

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自尊心が低いゆえに、相手に足りないところを求める共依存的な関係が作りだされやすいのですね。

お互いの信頼もほとんどないとき

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足りないところを求めながらも、期待通りにしてくれない相手に対して不満を抱くなど、助け合うというよりも求め合うだけで、信頼関係を築くことが難しい関係を築いています。

彼らが子どもに期待するのは

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そんな関係性の中に生まれた子どもは、現実を逃避させてしまうような、幻想をいだいてしまうような救世主となる・・というか、救世主にしてしまうのですね。

だから、子どもは生まれた時点で重い責任を背負わされていることになります。

親である自分たちの自尊心を高めてくれること

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このように救世主となった子どもは、自分の役割を理解し、スポーツや勉強などで結果を出すことで、親の自尊心を向上させることに協力します。

子どもとしては、もともとの自分ではなく「結果を出した自分」が評価されるため、「頑張った自分でないと意味がない」「結果を出さないと生きる意味がない」と思い込むようになります。

結果的に子ども自身の自尊心は低くなっていきます。

自分たちの延長となること

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子どもは、自分たちの非(自尊心が低い、信頼関係を築いていない)を埋めるための重要な役割ですから、子どもは自分たちの一部のようになっていきます。

子どもの自立の邪魔をして一緒に居ることで、自分を一生幸せにしてもらうことを願います。

夫婦関係の苦痛を和らげる機能を果たしてくれること

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こうして手に入れた幸せは、幸せというよりも夫婦間にあった問題から目をそらすための「抜け道」のようなものです。年老いた夫婦たちは問題の解決をまぬがれることもできますが、子どもに掛かる負担は重く、「自分の幸せとは何か?」という疑問に、いつの日かぶち当たることになります。

そして、あまり深く考えずに同じような家族を引き継いていく人もいれば、途中で家族のおかしさに気づいて軌道修正する場合もありますが、途中で疲れ果ててしまう人もいます。

今日のダイジョウブ!

本来、自分自身や夫婦間の問題に向き合うことをせず、子供の努力によって自分たちの自尊心を向上させることを覚えてしまった場合、このマンガのように自分たちの幸せまでも子どもに求めてしまうといった状態がずっと続くことになります。

熟年離婚や老夫婦間での殺人事件などが多く起こっていますが、このような問題も救世主である子どもによって作られていた幻想の世界から、現実に戻った結果ではないでしょうか。

これは、問題から目をそらしたり、問題自体を誰かに預けてしまったとしても、ブーメランのように最終的には自分の元へ戻って来るということなのかもしれません。

例えば、ドライブの途中で誰かが運転席から離れて他の車の運転をはじめると、止まった車から渋滞がはじまってしまいます。人に自分の問題を預けてしまうということは、この車の渋滞を巻き起こすきっかけを作ってしまっているに過ぎないのかもしれませんね。

基本的には、「自分の車(人生)は自分で操縦する」というスタンスを守らないと、いつか人生の途中で渋滞を起こしてしまうことになります。

これは何歳になっても自分の運転席のハンドルを誰かに任せることはできないし、任せたとしても一瞬は楽チンかもしれませんが、任せた人が事故を起こしたり、違う道を走ったりしても決して文句は言えないということ、それだけ重大で無茶なお願いをしようとしていることを忘れるわけにはいきませんね。

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