謙虚さは自尊心があってこそ成り立つということ

謙虚さって一体なんなのでしょう?
ということで、私が参考にさせていただいた、クリステンセンという方の言葉をもとに、謙虚さについて考えていきます。

この方はいつもはビジネス論などを研究し大学生や社会人などに教えている人なのですが、その方の『「人生のジレンマ」を克服するために』という講演内容を電子書籍化したものを読ませていただきました。

というのも、私もよく『謙虚』という言葉を使いますが、なんか意味が合っているのかわからなくなることがあります。
ただ『卑屈』であることを『謙虚』と表現したり、『自虐的』だったり『卑下する』ことを『謙虚』と表現したりすることが多いような気がするのです。

だから、『謙虚でいましょう』というアドバイスを『アホなふりしていたら良いのか』とか『目立つことは何もしないでいよう』などと、間違った解釈をしてしまう方も多いのではないでしょうか。

では、あなたの周囲にいる人たちの中で『謙虚だなぁ』と思う人を思い浮かべていただけますか?

その方はどんな人でしょうか?少し思い出してみてください。

私が思い浮かんだ『謙虚な方』は、よくお仕事をいただいている取引先の男性でした。

その方は、見るからに謙虚というわけではありません。営業マンなのでベタな営業をすることもあるし、お金の話になると怖い目つきになったりもします。

でも、その方は長年の付き合いで信頼できるので、特にその方の仕事はしっかりとやりたいと思っていました。
ある時、その方の下で、私と別の会社の人とで組んで仕事をすることになったんですね。

でも、その別の会社の人は権利ばかりを主張する人で、とても苦手でした。そこで、私は『もっと他の業者がいるはず』と思って、信頼している男性に相談をしたんです。

でも、その方は決してその業者を替えようとはしなかったんですね。
その時は『なんで?』と思いましたが、きっとその方の中には今の仕事の出来栄えだけで判断するべきではないという考えがあったみたいなんです。

その時は納得ができない気がしたんですが、後に私が大きなミスをしても決して見捨てるようなことはしなかったんです。どれだけ助けられたか、なんです。

もし、私のような考えで業者をポンポンと替えていたとしたら、きっと私もその仕事をしていないかもしれないと思います。

きっと彼の中には、『大丈夫、今度はできるよ』といった、縁のある人に対する全体的な信頼感があるんですね。だから簡単に見捨てないのだと思います。

これは、人に対する信頼感であると同時に、自分に対する信頼感なんですね。

この出来事から、私の中には『謙虚さ』がかなり不足していることを知りました。

そして、『信頼感』の欠如した人間同士が、世の中で揉め事を起こしていることに気がつきました。

そして、私の『謙虚さ』の定義がこの辺りから変化していきました。

このクリステンセンの本の中で、こんな一文があります。

これらの謙虚な人たちには、ある一つの際立った特徴があった。みな高い自尊心を持っていたのである。彼らは自分が何者かを知っており、そのことに満足していた。

また

一般に、自分自身に本当に満足している場合のみ、人は謙虚になれる。そして、周囲の人たちも自分自身に満足できるよう、これを助けたいと思うのだ

という言葉もあります。

確かに、先ほどの私の話に出てきた人も、自分自身の仕事や生活などに満足をしていて、だからこそ周囲の私や他の業者を含めみなさんも幸せになって欲しいと思っていることに気がつきました。

とっても大きな愛ですね。

また、クリステンセンは、他者に対して攻撃的で傲慢で傷つけるような行動に出る人たちに対して、その理由を『自尊心の欠如』と表現しています。

そして、このような人たちは、他人を引きずり下ろすことでしか、自分に自信を持てないと言っています。

まるで、ミスをする業者を引きずり下ろそうとした私のことをそのまま言われているように思い寒気を覚えました。

以上のことからも、私たちは『謙虚さ』についての誤解が多いように思います。

もし、自尊心が低いようであれば、その上でいくら『謙虚さ』を表現したとしても、それは嘘っぽくなってしまうのではないでしょうか。

だから『謙虚』になる前に『自尊心』を上げていくということが大事になるように思います。

もし、『謙虚』という言葉に不自然さを感じた方がいたのであれば、『自尊心』が不足しているのかもしれませんね。

更新情報などメルマガにてお知らせします。

お手数ですが、よろしくお願いします♪

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