あなたは誰かとの絆に絆(ほだ)されていませんか?

こんにちは!ダイジョウ部のカミ・トモです。

あなたは絆(キズナ)ってどう思いますか?

では、誰かにほだされるってどう思いますか?

実は、このキズナもほだされるも、同じ『絆』って漢字なのです。

絆も絆(ほだ)されるも、同じ『絆』。

これってややこしいけど、今の時代の悩みを解決してくれる糸口のような気がします。

『絆』の持つ摩訶不思議なパワー

絆という言葉を聞くと、ほとんどの人が肯定的に受け止めると思います。

『絆っていいよね』

『絆って大事だよね』

逆に、異論を唱えたら、ブーイングですよね。

なぜ、人はほだされるのか?

それに反して、ほだされるはどうでしょう?

ほだされるという意味は、

情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる。

といった意味があるそうです。どちらかというと悪い意味ですね。

この『ほだされる』という言葉で浮かんでくるのは、『騙される』という言葉です。

でも、いかにも騙しそうな相手にほだされるのであれば、一時の損失で終わります。

しかし、何年も何十年もほだされているのであれば、とてつもなく大きな損失になります。

ではなぜ、何年も何十年もほだされてしまうのでしょう?

『キズナ』ってワードが利用されている?

今のところの見解ですが、人が何年も何十年もほだされてしまう理由・・・

それは、キズナを良いように利用している(されている)からじゃないでしょうか。

最近は、よく『キズナ』ってワードが被災地などで使われます。

でも、某テレビ局がやっている『キズナ』っぽいテーマに嫌悪感を感じる人は多いように感じます。

この嫌悪感はなぜなんでしょう?

この『キズナ』って言葉は、複数の人の心をまとめ上げるのにとても適した言葉だと思います。

だからこそ、『キズナ』って場所から出ることができなくなることもあります。
いったん出たら終わりか、ずっと居続けるかのどっちかになりがちです。

でも、『キズナ』ってそんなに拘束力のあるものなんでしょうか?

例えば、幼馴染とは年に一度合わなくてはならないのでしょうか。

『キズナ』があるなら、何十年合わなくても、一時的にいなくなっても信じていられるのではないでしょうか?

今日のダイジョウブ!

つまり、ここで何が言いたいのかというと・・・

絆というのは縛られて当たり前の『関係性』のことではないのではないってことです。

絆は、目に見えたり周囲が認めることではなくて、形のない、いつでもどこでも感じることのできる『心の拠り所』なのではないかということです。

だから、『○○だから絆があるはず』といった言葉を使い、中にいる人が自由にいられなくなるのであれば、それは『絆』ではなくて、『絆』という美しい言葉を使った、人を絆(ほだ)すための強制手段なのだということです。

そこに気づいていない人が、実に多いのではないかという話でした。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ