苦手なあの人と距離を置くためのシンプルすぎる方法

こんにちは!ダイジョウ部のカミ・トモです。

距離を置く。

よく聞きますが、距離を置くってけっこう難しいことだと思いませんか?

距離を置くことが難しい人

特に、距離を置くことが難しい人は、人間関係を苦手だと捉えていることが多いです。

でも、寂しい時や不安な時は一人でいることが辛くなって人を求めることがあります。

そこで同じような距離を持てない人とご縁を結んでしまうことも多いので、お互いがお互いに距離を読めない、ある時近づきすぎてしまう、ぶつかるといった悪循環になってしまいます。

視点を変えると・・

例えば、いくら変わり者の人がいたとしても、その人が一人で何かをする人なら、周囲とトラブルは起きていないはずです。
他人に求めるものがないから、近づく必要を感じないからですね。だからトラブルも起きないのです。

ではなぜ、距離を縮めすぎてトラブルが起きるのかというと『誰かと関わりたい』という気持ちがありながら、関わり方を間違えているからなんですね。

だから、まずはあなたの中の『誰かと関わりたい』という願望がかなり強いことに気づくことが大事です。

『誰かと関わりたい』気持ちがあるからこそ不特定多数の人と接するような行動をし、『誰かと関わりたい』気持ちがあるからこそ多少危険だと感じる人とも関わってしまい、『誰かと関わりたい』気持ちがあるからこそ悪い人だとわかっても離れられなくなっているということに、です。

だから、タイトルのように今は苦手な人だと思っているかもしれませんが、ご縁を結んだ当初はあなたも相手を求めていたはずなんですね。だって、『誰かと関わりたい』気持ちがある人だからなんです。

つまり、因果応報

【因果応報の解説】 本来は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味だったが、現在では多く悪い行いをすれば悪い報いを受けるという意味で使われている。 仏教の考え方で、原因に応じた結果が報いるということ。

やっぱりこのスタート地点に戻ることがすごく大事なのではないでしょうか
そのことで、あなたはただの被害者ではなく、ちゃんとした理由があって、その苦手な人と距離を縮めようと思った、つまり仲良くなったことを認めることができるのです。

最初のスタート地点をしっかりと納得することができたら、これからの出会いではそう簡単に誰とでも仲良くなったりはできなくなるはずです。

利害目的に気づくということ

私も本当にこのミスは繰り返してきました。

頭ではわかっていながらも何度も距離感の持ち方に失敗をして、何度も反省してはご縁を結ぶ、を繰り返してしまいました。

最終的にもっとも難しいと感じたのは、利害関係がある相手に対して、なんです。

と言うよりも、誰に対しても利害関係を無意識のうちにでも意識して付き合ってきたことに気づくこと、認めることが、すごく難しかったという方が合っていると思います。

すごく打算的みたいじゃないですか?だからです。

もし利害関係が関係なかったら、もう少しシンプルに距離を置けたと思うんですね。

好き嫌いとか、志の違いとか、そう言ったものが原因であれば、次に好きな人や志の合う人を探したら良いだけだからです。

それがわかっていても離れられずに悩むってことは、何かしらの利害関係が含まれていることに気づいた方が良いと思います。

そこにあなたの弱みがあるからです。

つまり、ただただ仲良くしたいだけではなくて、心のどこかでその先の金銭なのか、コネなのか評価なのかが欲しかった。でも、それではあまりにもお粗末なんで、友情だったり、仕事への熱意だったり、家族愛などというキラキラしたものを付け足して、大義名分が後付けで出来上がっているのが本当のところではないでしょうか。

大義名分(たいぎめいぶん)とは、儒教に由来する考え方で、本来は臣下として守るべき道義や節度、出処進退などのあり方を指した。今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。

そう、あなたの利害目的に対する正当性を主張するための道理・根拠として、『友達だから』『仕事だから』『家族だから』としていたのではないでしょうか?

そう考えると、なぜあなたが苦手な人と縁を結び、今は縁を解こうとしていたかがわかるような気がしませんか?

そして今は、その人を必要としなくなった、つまりその人の持つ利益を必要としなくなったのではないでしょうか?

プレゼントに何重ものラッピングをしていくと、ただの石ころだったとしてもだんだんと立派なものに見えてきます。
だからこそ、本物が見えた時のショックはすごいものになるけど、最初から期待していなければショックもないはずです。

つまり、何が言いたいのかというと、自分以外に大きな期待を持ってしまうという考えのままでいると、この先も関わる人の数だけショックな結末が待っているように思うのです。

そして『もう、いらない』となってしまう。

そして、『私の周りには嫌な人ばかり』となってしまう。

そしてこのカラクリに気付くまでは、あなたは永遠とこの石ころのラッピングの中身がいつの間にかダイヤになっていることに期待して追い求めて、さまよい歩くことになるのかもしれません。

この『期待』を諦めない限り、今の苦手な人とご縁を切ってたとしても、また次のご縁に期待をしてショックを受けるということは簡単に予想できてしまいます。

そのやりとりが楽しいならそれで良いのですけど、それが辛い、面倒くさいなら、まずはスタート地点に戻ってみることをお勧めします。

『私の(真の)目的は何だったの?』と。

そこに戻れば、打開の道はきっと見えてきます。

今日のダイジョウブ!

結局、私たちは自分のために自分で努力をしたり誰かに親切にしたりするのです。

『徳を積む』のも立派なことですが、最後には自分に返ってくるからやっているのではないでしょうか。

でもそうやって、自分は自分で守ることで他者と自分との均衡(ホメオスタシス)は保たれているのです。

それが人との距離感なのではないでしょうか。

それを『あの人は私のためだけに???』といった妄想を抱くことは、この流れを止めてしまうことになります。そこから依存が始まり、何事も自分で完結できなくなります。

それは、一瞬のよろこびであるかもしれませんが、永遠のよろこびではないということなんです。

恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスタシス(希: ὅμοιοστάσις、英: homeostasis)とは、生物および鉱物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。

もし、相手との距離を置けないなら、まずはこの自分は自分で守るっていうホメオスタシスに戻ってみてはいかがでしょうか?

え?それくらいなら出来る?それならダイジョウブ!

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ