『依存の文化』は 日本の脆弱なシステムだった?

こんにちは!ダイジョウ部のカミ・トモです。

日本人の優しさの中あるもの

海外の人とお仕事をしていた時に感じたのですが、最初 海外の人は日本人の優しさを大絶賛するんですね。

でも、生活したり仕事したりしていくと、海外の方も日本人と同じような困った顔をするようになって、数ヶ月もするとお国に帰りたくなるんだな、とずっと感じていました。

私なりの見解だと、日本人に最初に感じた優しさの中に『依存』という得体の知れないものが多く混じっていることに気づくのだと思います。そして、なんか気持ち悪くてゾーッとするのだと感じています。

つまり、日本の文化は『依存の文化』とも言えるように思います。

これが『自立の文化』で生きてきた外国人には理解できないのでしょう。

『ドコに、誰に』依存すれば良いか?

私も含めて日本人の考え方の基盤のようなものに、『ドコに、誰に』依存すれば良いか?という考えが当たり前のように染み付いているんだと思うのです。

女性なら誰(主にパートナー)に依存するのか、男性ならドコに依存(所属)するのか、子供なら親に依存をするのは当たり前ですが、年老いた人なら子供に依存をするといった依存のループなんですね。

だからよく会話で確認しますよね。

『どんな人がパートナーなの?』

『どの会社に行っているの?』

『お子さんとは同居?』

などなど

これって、依存先はしっかりしているの?ってことなんですね。そこが一番肝心っていう感じ。

これが、愛だったり、絆だったり、ギブアンドテイクなどと言葉を変えて美しい物語になっていることも多いのかもしれません。

権利意識だけが膨らんだ結果

だからこそ、依存する相手や所属先に感謝しているとか、それなりの奉仕をしてお返しをしているなら均衡は保っているのでしょうが、最近ではグローバル化も手伝ってか、そうしてもらって当たり前だという『権利意識』だけがとても大きくなって、依存している方があぐらをかいているケースがとても多いように思うんですね。

つまり、権利さえ手に入れれば勝ち組で、後は一方的な奉仕に甘んじてOKよ、みたいな。

会社へ依存しながらあぐらをかくけど、家では家族から依存をされあぐらをかかれるという依存のループ。なんとなく回っているうちは良いのでしょうけど危うさも感じます。

あなたは、このような不均衡を感じませんか?

会社などでも『8割の人は会社に依存している』などとよく言われていましたが、今までは利益が上回っていることが多かったからこそ、この不均衡のお尻ふきが出来ていたのでしょう。

そしてその利益を得た人が家族へ持って帰るお給料があるからこそ、この不均衡もなんとなく収まっていたのでしょう。

でも、いろいろなことが限界にきている今、この依存の方式はきっと破綻していくだろうと思います。

そうなったら、依存される側も己(おのれ)に精一杯になって、尻尾を巻いて逃げていくでしょう。

つまり、残るのは今まで依存していた人。

ある意味、不均衡が崩れるのですから正常に戻ると言っても良いのでしょうけど。

この日本の文化とも言える依存的なシステムは、高度成長期からの数十年という単位では通用したと思いますが、この先ずっと継続できるほどのちゃんとしたシステムではなかったんだと感じます。

今日のダイジョウブ

後はどうやって自分なりに考えていくかですね。

私たちは昔からの慣習や風習になんとなく従うだけでなく、自分なりに『私はどうするか?』と考えることが問われているように感じます。

甘えるのが上手いとか人との関わりの潤滑油になるのは良いけれど、それに頼りすぎて思考停止になってしまうことが危険なんだと思います。

まずは、思考力を鍛えよう!

それならダイジョウブ!

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