どうでもいい人から好かれるけど愛する人から振り向いてもらえない方へ

はじめからないもの、からのスタート

多くの人は、思った人から期待するほどの愛をもらえないのだと思います。

これが人の苦しみの根源ではないでしょうか?

でも、本当のスタート地点はここからではないかと、感じています。

はじめからないもの、からのスタート。と思えるかどうか。

求めても得ることができない愛に執着をすること

前に許せない病という記事で伝えましたが、求めても得ることができない愛に執着をすることで、その対象がゆるせなくなるという話をしました。

このような人は、自分のことを、もらう側の人間だと決めつけているのだと思います。

でも、後ろを振り返ると、あなたからの愛を求めている存在に気づくはずです。

これは、恋愛とか相思相愛とかキラキラかしたものだけではなく、あなたを待っている友だちかもしれないし、あなたの発信を待っているS N S上の人かもしれないし、ペットなどかもしれません。

あなたは、例え自分には満たされた愛がなくても、あなたをもとめている存在に愛を与えられますか?

これって難しいですよね。

今がどんな状況でも、そこで取る態度は自由

前にフランクルの記事で、飢餓状態の時に病人にパンを与える人もいれば、奪い取る人もいたという話をしました。

このように私たちは、今がどんな状況でも、そこで取る態度は自由に決められます。

つまり、愛に枯渇しているから、人に愛を与えないどころか悪いことをしても仕方がないと思い行動することも出来る。

でも、自分には満たされる愛は今はないけど、求められるならある程度の愛は渡してあげたいと思うのか。

あなたはどうですか?

というのも、私自身があるキッカケにある活動をやめようと思ってブログでお知らせをしたんです。

そしたら思いの外反応があって驚いたんですね。

やめないでーとかありがとうとか。

つまり私の活動に期待している人がいると気づいたのです。

意外と、自分で気づかないものだと感じました。

何に、誰に愛を与えるか

ただこのように言うと誤解されそうなのは、誰かれ構わず自己犠牲的に与えたり、服従すれば良いの?ではないので、そこは注意してください。

「べき」ではない 人、ことを選ぶことが条件です。

つまり、自分が「この人と仲良くなりたい」とか「これをやりたい」と思っているかどうかです。

やりたくもないこと、嫌いな人に求められるままに与えるのは、搾取されていることになります。

まずは、自分の意思をはっきりとさせた上で、進んでくださいね。

よく、与えれば戻ってくるといいますが、確かにそうだと思います。

というより、あなたが向いている方向。つまり、求めても得られない愛を求めるのをやめて、求められる人にあなたが向きを変えたら良いかなっと思うのです。

そうすればやっと誰かと向き合うことができます。
愛と言えば良いかわかりませんが、向き合えることで心の交流がやっとはじまるのかもしれません。

今日のダイジョウブ!

今は与えられる愛はなくても、あなたには与える愛はあるかもしれません。

また、それを待っている人がいるかもしれません。

すべては、あなたの向く方向なのです。

何ごとも小さな選択、小さな一歩からすべてが変わり出します。
はじめはわからなくても、少しずつ周囲が気づき出すでしょう。

メタ情報

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク

コメントをどうぞ