「私は私。母は母。」あなたを苦しめる母親から自由になる本 を読んで

「毒親」や「毒になる親」というキーワードで検索すると、驚くほど多くの検索結果が出てきます。
ということは、それだけ多くの人が同じような悩みを抱えているということですね。
以前はタブーとされていた、家族に対する「おかしさ」にやっと気づき、対処しようとする人たちが増えてきたということなんだと思います。
とくに母親と娘との関係は、とても複雑で一卵性のような状態になりやすく、分離が難しい関係性の方が多いですね。 この母と娘のゆがんだ関係をどうやって修復していくのかが詳しく書かれた本でした。
本の表紙の裏にこのようなポエムがありました。
“所詮、母はああいう人” 母を変えようと苦悩するより、うまく距離をとることで、あなた自身の人生を幸せに生きていいのです。母にも苦悩する娘として生きた時代があったということを理解しても、あなたが同じように苦しむ必要はありません。
実際によく見られる母と娘のエピソードを題材に、母親から解放され自分の幸せをつかむための具体的な方法が書いてあります。
いわゆる研究で終わりの本ではなく、具体的な実践法が書いてあるのでとても参考になりました。
その中で、「娘を苦しめる母親、七つのタイプ」として、強いタイプや弱いタイプなどのタイプ別に分かれて対処法が記載してありました。
娘を苦しめる母親、七つのタイプ
1.ベッタリ母(娘に甘える母)
2.過干渉母(娘のために何でもしてくれる母)
3.無関心母(母親らしい情緒が感じられない母)
4.完璧で重い母(しっかり者で何でもできる母)
5.かわいそうな母(自分の人生を生きられなかった母)
6.残酷な母(娘を傷つける母)
7.言うことが矛盾だらけで口うるさい母
娘を苦しめる母親のタイプ別付き合い方
1.ベッタリ母(娘に甘える母)
○役割から降りる
母親に依存されることがとても重い娘さんが対象になりますが
母親に依存されて苦しいようなら、自分が何の役割を担わされているのかを考えてみると良い
とのこと。
このように何か不満だったり、おかしいと感じるような問いかけなどがあたら、求められている役割から降りることで、母親も期待通りにはならないことを学習していくということです。
○距離を置く
人によっては、物理的な距離。人によっては、心理的な距離を置くということです。
母親から身を引きはがすようにして離れない限り、娘が心理的に窒息してしまいかねないのがベッタリ母である。
○意思をはっきり伝える
例えば
娘にしょっちゅう電話をかけてくる母親は、娘のことを心配しているようだが、実は自分が不安に耐えられないのである。
だから、例えばしつこく電話をかけてくる母親に対して
2.過干渉母(娘のために何でもしてくれる母)
○絶対に譲らない
このような母親は、例え拒否したとしてもすぐに聞くはずがない。
その場合は、イライラせずに何度も何度も繰り返すことが大切。
例えば自分でやるといっても世話をやく母親に対して
このように冷静に言葉にして伝えることが大事。
遠慮がちに示された境界線など、過干渉な人は軽々飛び越えてしまうので、境界線を引くときは、はっきり、きっぱり、明確に「ここまで」と引く必要がある。
3.無関心母(母親らしい情緒が感じられない母)
○情緒的な関わりを断念する
情緒的な表現をしない母親から濃い情緒をもらうことは断念する以外にない。
○情緒の供給役を、他に探す
ほしいものが与えられないときは、与える能力や与える余裕のない母親からもらおうとするのではなく、ほしいものを与えてくれる人を、ほかに探したほうがよい。 (省略) 娘を癒し、勇気づけることができるのは母親だけではない。
4.完璧で重い母(しっかり者で何でもできる母)
○直接対決を避ける
母親は監視する人であり、罰を与える人でもある。その人が完璧であればあるほど監視される側が感じる恐ろしさは増す。恐ろしさが増せば、うっとおしさも増す。
このような母親の場合は、直接向き合うよりも、手紙やメモなどでお願いしたいことを記しておくと良い。
○罪悪感と戦う
罪悪感が出てくるということは、自分の意思で行動したという証拠で、それが間違っていたのではないかと感じているということ。
罪悪感は自分が自分の人生をいきはじめた証であることを知れば、その苦しさも少しはラクになる。罪悪感をねじ伏せながら行動しているうちに、罪悪感は薄らいでくる。
5.かわいそうな母(自分の人生を生きられなかった母)
○母の不幸は子どものせいではない
母を不幸の中に置き去りにしているのは、母自身である。時代の限界、環境の限界があったにしても、黙って理不尽さを受け入れる以外の方法もあったはずである。 娘には、母の不幸への責任はない。母に幸せになってほしいと願うのは、子どもとして当然だが、そのために自分の感情や自分の人生を犠牲にすることはない。それでは母が歩んだ人生と同じ人生を生きることになる。
自分の中で浸透するまで、何度も言い聞かせるといいでしょう。
○一人で幸せになる
「一緒に幸せになろう」と言っても動かない母親には、諦める以外にない。ずっと泥の中に浸かって、ジクジクベタベタとした気持ち悪さを当たり前のこととして暮らしている人に「こっちに上がっておいで。乾燥して気持ちいいよ」と誘っても、気持ちのよい状態が想像できない。また、これまでずっといた沼から出て、知らない世界に踏み出すことも怖くてできない。不幸の中にとどまり続ける母も同じである。 このような母を何とか沼から引きずりだそうと頑張っていると、自分まで不幸の泥にひきずりこまれかねない。不幸の沼の中に母と沈んでいるよりも、残念だが母を諦めて一人だけで浮き上がったほうがよい。 (省略) 娘に責任があるのは、娘自身の幸せである。
6.残酷な母(娘を傷つける母)
○つきあいを断つ
(料理をその娘の分だけ準備しない、貯金を勝手につかうなど)の親に対しては、つきあわないに限る。そこに長くとどまることは、自尊心を損ない、ますます自分を無力にするだけである。逃げるのが最上の方法である。
○わかってもらおうとしない
一生懸命やってもイエスと言ってくれず、何もしなくてもイエスと言ってくれないのなら、何もしない方がよい。(省略) いくら猫なで声で近寄ってこようが、手紙をもらおうが、ハガキをもらおうが、反応せずにいると、母親は父親や親戚などに援軍を求める。父親は「いい加減にしなさい」とか「早く帰ってきなさい」と言う程度だが、厄介なのは親戚である。(省略)母親から相談を受けた相手から「お母さんが心配しているわよ」とよけいなことを言われることがある。
それでもしつこく言ってくるなら、その親戚とも連絡を断てばよい。母親の味方をする人にわかってもらう必要もなければ、つきあう必要もない。
7.言うことが矛盾だらけで口うるさい母
○はっきり抗議する
言うことが矛盾だらけなのは誰にでもあてはまる
苦痛なのは、母親が自分の矛盾は棚に上げ、娘の不足をついてくるからである
こうして、相手の何となくの会話「反応言語」につられて「反応言語」であいまいに終わらせず、しっかりと意味を指摘したり、質問したり、きっちりと怒るなどの反応をする。
○聞き流して黙る
さきほどのような、何となくの会話「反応言語」は意味がないので、切ってしまった方がいい。
反応がなければ、母親もそれ以上続けることは難しくなる。
こうして、会話を切ることも必要なんですね。
最後に・・
この本の最後の方に、このような母親を持った娘に対するメッセージとして、おすすめのキーワードが3つあるとのこと。これもとってもためになるので紹介します。
1つめのキーワード:境界をつくる
基本的には、どのタイプの母親に対しても、娘のほうから「境界を作る」ことが重要である。
2つめのキーワード:断念
愛してもらいたいと願いながらそれを手に入れられないとき、それに執着するのも、母親を罵り続けるのも、一つの方法ではあるが、そうしたからといってほしいものは手に入らない。
こうして、断念することを受け入れた時、自分にほしいものを与えてくれる母親以外の存在を手に入れられるようになるとのことです。
3つめのキーワード:恩知らず
母からもらうことを断念した娘は、母にあげるものは、もうない。育ててもらったから、産んでもらったからといって、自分を犠牲にすることはない。 この世に産んでもらったことの、そして育ててもらったことの最大の恩返しは「よりよく生きる」ことである。よりよく生きるために、母の存在が枷(かせ)となるなら、枷をはずして前に進むしかない。母という枷をはずすことで、「恩知らず」「親不孝者」と言われるかもしれないが、この世に生を受けた者の最大の義務は、自分自身の人生をまっとうすることである。そのために恩知らずになることが必要なら、堂々と恩知らずになればいい。自分自身の幸福への責任、それが最大の責任である。
娘を苦しめたり、強く言えない理由は、間違いなく「罪悪感」です。
これを知って揺さぶる相手なら、間違いなく戦うべき相手です。
あなたは、ほかの娘さんよりずっと長く娘を演じてきたのではないですか? だから、「私はじゅうぶん娘役をやってきた。だから卒業しよう。」と決心しましょう。
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