心が死んだ人は終わりにするために自分に罰を与える

心が死んだ人は終わりにするために自分に罰を与える

 

心が死ぬって、何か気になる言葉だと思いませんか?

 

また、心って外からは見えないけど、心が死んでいる人って意外に多いのかもしれないと最近感じています。この辺の話をニュースなどを例にしながら説明していきます。

 

人の身体は年齢や病気、事故などによって終わりを迎えますが、「心」や「魂」は終わりを迎えないのではないかと考える人は多いですし、私もその考え方を持つ一人です。

 

つまり、今生きている次元だけで「自分」を考えるのは少し違うように感じています。いわゆる来世にも持ち越すってことが多いように思いながら生活をしています。

 

それが色々なことをするときのマナーに繋がったり、死の前でも学ぶ姿勢を続けるために必要な心がけなのかもしれません。

 

心が死ぬとは?

 

ただ、最近のニュースなどを見ていると、「心が死んでしまった人」というのを見かける機会が増えた気がしています。

 

例えば、2017年に起きた自殺したい人をSNSで探して殺すっていう殺人犯が逮捕されました。動機としては「お金のため」という本人からの自供(じきょう:犯人などが取調べに対し自分から述べること、また、述べた事柄)があったのですが、お金だけが目的ならもっと別の方法があったのではないでしょうか。

 

でも、そういった事件に手を染めることになった・・この事件はかなり考えさせられる後味の悪い事件のように思いました。

 

この事件の犯人について、スピリチュアリストの江原啓之さんがとても興味深い発言をされていました。

江原啓之氏が「殺したい」衝動に言及「1度自分が殺されている人間は人を殺す」

1日放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で、スピリチュアリスト・江原啓之氏が、「殺したい」衝動について言及した。

番組では、「白石容疑者 9人会った日に殺害」と題し、毎日新聞の記事を取り上げた。神奈川県・座間市のアパートで9人の遺体がみつかった事件で、死体遺棄容疑で逮捕された無職・白石隆浩容疑者は、「全員、会ったその日に殺害した」などと供述しているという。

この事件に対し、まず江原氏は「良いことではないが、歴史に残る犯罪になるでしょうね」「変な言い方だけど、自殺サイトで、『死にたい人間』と『殺したい人間』がうまく組み合わさっ(てしまっ)た」とコメントした。

ここで、司会のふかわりょうが「『殺したい』という感覚を、社会はどう受け止めるべきか?」と尋ねる。江原氏は「昔からある衝動」と答えつつ、「1度自分が殺されてる人間って、人を殺すんですよね」と持論を語り始めた。

白石容疑者も、人生の中で心を殺される出来事があり、それがきっかけで人を殺したい衝動に駆られたのでは、というのだ。江原氏は、だからといって殺人は許されないとしつつ、「そういうことは連鎖してる」「今の時代、肉体だけじゃなく、心を殺し合っているようなところがある」と説明。最後に、「どうすれば愛を持って平安に生きていけるのかを考えなければいけない」と訴えていた。参照:ライブドアブログ

 

1度自分が殺されてる人間って、人を殺すんですよね

この言葉はなんかぐさっときましたね。

 

もちろん犯人の生い立ちとなどの詳しいことはわかりません。また、そんな表面的な情報で「原因はこれだ!」と決めつけるのは、犯人といえども今でも生活をしている親や兄妹がいるのですから、興味本位で立ち入ることではないように思います。

 

ただ、江原さんが言われているように、「1度自分が殺されてる人間」というのは、それこそ何人かに一人くらいの割合でいるのではないかとカウンセラーをしている私は感じています。

 

何か大きな事件を経験した人もそうですが、DVやモラハラなどで日常的に心が死んだ・・というか、麻痺させていないと生きていけない期間があった人というのは、調べたらすごい数だと思うんですね。

 

しかも、その原因が大きかろうが、小さかろうが関係ないんですね。

 

その人にとって「心が死んだ」と思えるほどのことであるなら、そうなんです。

 

一度死んでどん底を見て這い上がった成功者

 

 

また、その「心が死んだ」と思えたとき、そしてその後どうするかっていうのは、これも人によって大きく違うのではないかと思っています。

 

よく成功者が成功談を話す時って、必ず前段に「よく生きてたね」って言えるほどのどん底時代がありますよね。

 

だからこそ、成功したのかもしれないですけどね。これはストレス耐性つまりストレスに歯向かうパワーが強い人だからこそ成功するのだと思います。

 

この場合は、「心が死んだ」と思えた経験を逆にチャンスにしてしまうケースだと思います。

 

心が死んで犯罪などを侵すことのリミッターが外れた人

 

また、先ほどの殺人犯のように「心が死んだ」あとに「どうでもいいや」というような価値観に変容していくっていうケースも少なくはないと思うんです。

 

きっともともと性格的にも普通の人が持つ「べき」的な考えが薄いとは思うのですが、多くの人はそれを短所だと感じて深く悩んだり、隠したりするのですが一定数の割合でスッーっとこの範囲から出てしまうケースがあるように感じます。

 

よく言われる「ダークサイド」に落ちていくってことですね。

 

このような殺人を犯すというのは稀なケースだとは思いますが、トイレに盗聴器をつけたりするような犯罪を犯してしまう人というのも、「一度心が死んだ」人なのではないか、と感じることがあります。

 

といいますのも、実は知っている人にすごい腕のいい方なのになぜかセクハラをする癖があって、最終的にはうまくいかなくなるという繰り返しをしていました。

 

この方を見ていると、「きっとこの癖はなおらない」という結論になってしまうのですが、この方にとってセクハラは「心が死んだ」あとの「生きるすべ」のようにも見えるのです。

 

だからと言ってセクハラを認めましょう、という話ではないのですが、この方を見ていて感じるのですが、「どこかで終わらせたい」と心の底で思っているように感じます。

 

誰か私をどうにかして、と。

 

心は死んでも魂は生き続ける

 

ただ、いくらセクハラをして罰を受けたり刑を受けたりして、最終的には心だけでなく体まで死んだとしても、魂は全取り替えするわけではなく、持ち越すのだと私は思っています。

 

だから、犯罪者やセクハラをする人が人を傷つけたりすることで自分に罰を与えるといった方法は、心に潜んでいる「終わらせたい」ための行動であるとは思いますが、「それで終わりではない」とも思っています。

 

なぜなら、魂は持ち越すわけですから。

 

先ほどのセクハラの人もそうですが、表面的には決して悪い人ではないのです。普通に笑顔で爽やかな方なんです。

でも、「心が死んでいる」そして「自分に罰を与えている」人なんだと思います。

それならば、罪をおかして自分に罰を与えるような方法を選ばずに、先ほどの成功者のような「起死回生の道を模索してみる」というのが、魂のレベルで考えると何回も同じテーマを繰り返すよりはずっと早道のような気がしています。

これは死生観によって違いますが、一説によると人は死んだ時、この世でやったことを審査されて天国に行くとか、地獄に行くとかが決まるという話の本がありました。

 

そして、しばらく天国で楽しんでから何かのタイミングでまたこの世に戻ってくるという話が多いですね。
この世には魂の修行のためにやってくるのです。

 

何が言いたいかというと、先ほどの「終わらせたい」と思っていた人も、実は体の死は終わりではなくて、またそこから魂の修行が始まるように思うのです。

 

魂の修行はそれほど甘くない

つまり、「終わってなかった!?」ということなんですね。

 

そこまで魂の修行は甘くないってことなのかもしれません。

 

ある意味、自分に罰を与えるというのは簡単な方法なのかもしれませんが、それでゲームをクリアするようにすべてが気持ちよく終わるわけではないように思います。

 

またそれではいつまでたっても先ほどの天国の審査には通らないのではないかと思います。

 

だからこの世で軌道修正をすることが大事だということと、周囲は人に対して意外と寛容ではないかと思います。

なぜなら、人は他人のことなどあまり気にしてないからです。

だから、致命的な失敗をしたとしても起死回生のチャンスはあるということです。

それを許さないのは、紛れもなく本人なのではないかと思います。

 

以上で終わります。ありがとうございました。

 

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